会社案内

社長挨拶

野原熱錬工作所は、昭和31年に金属熱処理工場として創業しました。
以来、熱処理事業の拡大に取り組む一方で機械加工も開始するなど、先人たちの絶え間ない努力と果てしないものづくりの精神によって進歩を遂げてきました。

今では、素材調達から機械加工、熱処理加工、仕上げまでの一貫生産によりお客様のニーズに応えています。
主に農業機械、工作機械、印刷機械、産業機械等の加工を行っており、お客様は広く全国に及んでおります。

日々、技術力の向上に努め、伝統を受け継ぎ誇りをもって地域に貢献できる企業であり続けたいと考えています。

金属加工業界では特殊用途へ対応する高度な技術力が求められます。
品質、価格、納期への対応はもちろん、私たちはこうした特殊用途へ対応するために地域の優れた技術力と人間力とものづくり精神で連携し、互いに切磋琢磨しながら技術の向上を図り市場ニーズに即応してゆきます。

代表取締役社長 金崎芳男

会社概要

名称株式会社 野原熱錬工作所
創業1956年(昭和31年)11月
資本金2,458万円
社員数70名
代表者代表取締役社長 金崎芳男
本社工場所在地〒699-0108島根県松江市東出雲町出雲郷86-1
連絡先TEL : 0852-52-2131 FAX : 0852-52-5068
E-mail : info-nhr@nohara-heat.com
松江工場所在地〒690-0026島根県松江市富士見町1-16
連絡先TEL : 0852-37-0453 FAX : 0852-37-2186
E-mail : matsue@nohara-heat.com

本社工場 〒699-0108島根県松江市東出雲町出雲郷86-1

松江工場 〒690-0026島根県松江市富士見町1-16

沿革

1956年金属材料の熱処理工業を目的とし、現在地において野原熱錬所(代表者 野原英雄)を創設。
1960年佐藤造機(現 三菱マヒンドラ農機)より受注。熱処理工場認定、有限会社野原熱錬所を設立し、
代表者に野原孝三郎が就任。
1961年機械加工工場の新設により業務拡大。
資本金200万円、株式会社野原熱錬工作所に改組し、代表取締役社長に野原孝三郎が就任。
山陰地方初の高周波焼入れ装置を導入。
1968年松江鉄工センターに進出し、工費7,500万円の機械加工工場を新設。
1972年資本金2,458万円に増資、住友電工より受注。
1981年マツダ精機(現ヒラタ精機)より自動車部品の加工を受注。
1986年マツダ精機(現ヒラタ精機)より自動車部品の熱処理を受注。
1989年熱処理工場を増築し、ガス浸炭窒化焼入、焼戻しラインを増設。
2001年代表取締役社長に森本秋雄が就任。
2007年複合素材の真空焼入れ技術の研究開発開始。
2009年ISO9001:2008 認証取得(熱処理課)
デジタル検査機器の導入(熱処理課)
2017年代表取締役社長に金崎芳男が就任。
真空洗浄設備導入。
2018年ISO9001:2015 移行(熱処理課)
本社工場に新工場を増築し、機械加工設備を導入。(自動車向け部品生産)
2021年(株)ヤスイと共同で(株)松江クラフトマンを設立し、互いの強みを活かした営業活動を開始。

熱処理工場として始まった野原熱錬工作所

当社の創業のきっかけとなったのは地元の農機メーカー(現 三菱マヒンドラ農機)が動力耕運機を開発、販売したことがきっかけとなります。

昭和20年代後半の当時は材料の調達にも問題が多く、ミッションなどの歯車、軸等に強度上の問題が発生し特に熱処理(焼入れ)技術の未熟さが原因となっているケースが多くを占めておりました。

創業者の製鋼会社での素材検査の経験を活かし問題点を解決して行くなかで、農機メーカーから外注先として熱処理工場を発足してほしいと要請があり現所在地にて創業することを決意します。

そして熱処理工場としてスタートすると瞬く間に各地から注文が殺到し、焼入れを行う日々が続き5年後には従業員も20名を超えるようになりました。

そこで会社組織へと切り替え、より効率よく採算が取れるよう機械加工も開始し、完成部品の一貫生産工場へと変貌を遂げます。

その後も山陰地方で初となる高周波焼入れ装置の導入や、松江工場新設での自動車向け部品の生産ライン起ち上げ、ガス浸炭窒化炉のライン増設と規模を拡大して参りました。

現在も新規事業への取り組みを積極的に行い、時代と共に変わるニーズに柔軟に対応しながら、そしてこれから先もこの地域になくてはならない企業としてあり続けるよう日々生産活動に励んでおります。

野原熱錬工作所33周年記念パンフレットより